★D1★靉嘔 AY-O シルクスクリーン 限定100部 「手・左」

シートサイズ37mm×28mm
作品サイズ34×26mm
鉛筆サイン入り。

真作を保証いたしますので、万が一、贋作と鑑定された場合にはご返金いたします。

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靉嘔(あい・おう、英語: Ay-O、1931年5月19日 - )は、日本の美術家。1960年代のフルクサスに、同運動の国際的な活動の初期から関わったことで知られる。本名は飯島 孝雄(いいじま たかお)。茨城県行方郡玉造町(現・行方市)出身。「虹のアーティスト」として知られている。

1961年、オノ・ヨーコがジョージ・マチューナスに紹介し、1963年に正式にフルクサスに加わった。「Finger Boxe」という一連の作品とフルクサス時代の「イヴェント」で有名になった。ジョージ・マチューナス、エメット・ウィリアムス(en:Emmett Williams)、ディック・ヒギンズ(en:Dick Higgins)、ナム・ジュン・パイクと親密なかかわりのなかで仕事をした。
フルクサス以前、瑛九が創設した「デモクラート美術家協会」で、キャリアをスタートさせた。同協会は、芸術的自由と独立を美術制作の世界に推進した。このことの靉嘔への影響は、large Xを描いた彼の初期の一連の作品に見出される。なぜなら彼自身がまだまだオリジナルじゃないものだと考えている作品だからだ。
日本には、「デモクラート美術家協会」に近い別の独立的運動が存在した。蒐集家・久保貞次郎の「創造美育」(Biiku)がそれだが、美術教育における自由の育成を推進した。「創造美育」のアプローチは、ナチュラルに「素朴派」の形式を推進し、久保は、社会における美術蒐集を広げるために「小コレクターの会」(Small Collector Society)を推進している。この両運動が福井県と靉嘔を特異に結びつけた。