誰と出会い、何を話すか。




何を見て、何を感じ、

どう想うのか。



そうして、

どんな風に行動するのか。






その繰り返しが、

積み重なって「わたし」の人生になる。






それでも、たまに





「ほんとうの私って?」


なんとなく、ぼんやり

でも確実にモヤっと心の中に浮かぶ問いに


ハッキリ言葉に出来ない、

見つけられない「私」について




「わたし」を

見つけられたら、良いことがあるのか



「わたし」を

しっかりと捉え、表現出来ると

私は、私らしくなれるのか。



もしかすると、


私は、私を

見つけた気になっているだけなのか?





考えることがあって、

答え。を見つける前に



気が付いた。







ほんとうの私。を「みつける」



そんなことよりも、きっと

ただただ、


自分のことを「知りたい」



とても素直で強い欲求を

誰しも抱えている事実。




そして、その興味は、

おそらく尽きる事がないだろうなと。






この世界を“私”として生きる上で、

“私”を知ることは、


何よりも尊くて

掛け替えのない喜びに満ちている。






全ては“私”の中に、内側にある。


そのように感じて、

内側を覗き込むと


その全てを外側へと投影していることに

気がついて、また外側に目を向けて、



その繰り返し。








「私さがし」は、

「私ひとり」では出来ない。



誰かとの出会い、ご縁。

対話を通して、


見えてくる、感じる何かに気付いて、


はじめて、

自己探求が始まる。








今日、誰と出会い、何を話しますか?




何を聞き、何を見て、何を感じ、

どう想うのか。



そうして、

どんな風に行動するのか。





私。をカタチ作るのは、

日々の選択でしかない。





そうやって、

堂々めぐりをする



言葉に置き換えてみる。



ただ、私へと想いを馳せる

いまが愛おしい。