「変わりたい」が口癖だった過去から

「変えよ」と思ったタイミングで動くようになったのは、最近のこと。



「いい感じ!」のセンサーは

割といい加減。だから、操り易いのだけど、


「なんか違う」、、違和感のセンサーは

年々誤魔化せなくなってきた。



なので、自ずと

「変えよ」が必要になってくる。


「変える」というよりも、

「ズレ」を修正する。感じかな。



そうすると、


水面へと浮上するように、

すーーっと軽くなっていく。


軽い。が心地良い。


だけど、

潜りたい時にはずーーーんと思いのままに潜る。

深く浸る感覚も好ましい。



両極を行き来出来るからこそ、

の心地良い、軽さ。





さて、



「変わりたい」の根っこは

「変えられない」という思い込みや、

「変えたくない」という意識が存在する


ように思う。




と、話したら

どのくらいの共感を得られるのだろうか。






「変わりたい」のに「変われない」時期を過ごしていた過去の自分自身を振り返ってみると、


そんな風に思うのです。







「変えられない」の中身は、

「お金がない」「時間がない」「自信がない」



「ない」という幻想が沢山詰まっていて、



それはつまり、

「ない」という幻想が沢山「ある」状態


とも言える。


こういう言葉遊びが、好きだな〜。








「ない」ことなど無いのに、

「ない」と嘆く不思議。





「ある」とは?なんだ。



いつの間にか、持っていた、持たされていた、

漠然とした「ある」の基準値。



お金がある。とは?

時間がある。とは?

自信がある。とは?



お金がある人って?

時間がある人って?

自信がある人って?




言葉にすればするほど、

その実態が掴めていないことに気がつく。



一体どこから来たのかすら分からない

「当たり前」だったり「普通」の測り。


「すごい人」という虚像を作り比べることで

「ない」を必死に集めている不思議。







「ない」を探す時間と、悩みながらも生活していけるお金。はある訳で、「ない」という主張には自信があったりもする。




何にも「無い」

を証明しようとすればするほど、


沢山の「有る」の存在を知る。






だから、


「変わりたい」けど「変われない」

と思ったら、


中途半端に悩むのではなく

とことん「ない」に向き合ってみたら良い。




「ない」と思っていたことが、本当に「ない」かどうかは、やってみなきゃ分からなくて、


やってみたら、意外と「あった!」

って事案の方が、多い。経験上。




「ない」は、ただの「くせ」





「強くなりたい」と思ったら

とことん「弱さ」に向き合うしかなくて、



「苦しい」「辛い」ときには

何が「苦しい」のか、

どんな部分が「辛い」のか。



とことん掘り下げて、味わってみる。


と、、本当に欲しかったものや、

譲れない「喜び」みたいなものが、


鮮明に浮き上がってくるから不思議。







「ない」と「ある」

「強い」と「弱い」

「暑い」と「寒い」

「辛い」と「喜び」


両極を知ると、いいよね。




って、まとめがだいぶ雑。



色々と知って、

色々と変化中です。



おわり。