私の恩師と戦争
金沢伯郎先生。
私が勝手に恩師にしているだけですが、生涯で尊敬する人物を上げよ…必ず上げたい方の一人です。金沢先生は、当時、私が通う中学の日立市立多賀校長先生でした。
以下は先生が、中学校の夏休み水泳競技会閉会式の挨拶に述べられました話です。
『プールには、先ほどの君たち諸君の競技の波がまだ静まらずに立っています。この波を見ながら僕の話を聞いて下さい。僕の中学時代に親友であり、ライバルの友がいました。ある夏の水泳大会リレー競技で僕のチームは優勝したが、彼のチームは負けが決まった。彼はアンカーであったから、周回遅れで最後まで泳がなくて責任が果たせない。全員があがったプールを彼一人がターンを幾度も繰り返しながら泳ぐ。彼一人の立てる波だけが打ち寄せる。チームの負けが決定しても、自分の勝負を最後まで諦めない姿が忘れられないです…やがて僕たちは大学に入ったが、戦争で学徒出陣でそれぞれの戦地にゆくことになった。彼の乗った船は南方で撃沈され、全員の死亡が伝えられた、しかし僕は彼が、今でも日本に向かって海原を泳いでいる気がします。最後まで一人諦めないで海を泳いでいる気がしてならな い。
夏休み、こうしてプールの波を見ていると彼が泳いでいる背中を思い出します…。』
僅か数分間のお話でした。
私は初めて、言葉とは人の心に訴える力を持つものだ。その力を発揮して言葉なのだ。
強く実感した一瞬でした。今なお鮮明な印象のまま忘れた事はありません。
私が勝手に恩師にしているだけですが、生涯で尊敬する人物を上げよ…必ず上げたい方の一人です。金沢先生は、当時、私が通う中学の日立市立多賀校長先生でした。
以下は先生が、中学校の夏休み水泳競技会閉会式の挨拶に述べられました話です。
『プールには、先ほどの君たち諸君の競技の波がまだ静まらずに立っています。この波を見ながら僕の話を聞いて下さい。僕の中学時代に親友であり、ライバルの友がいました。ある夏の水泳大会リレー競技で僕のチームは優勝したが、彼のチームは負けが決まった。彼はアンカーであったから、周回遅れで最後まで泳がなくて責任が果たせない。全員があがったプールを彼一人がターンを幾度も繰り返しながら泳ぐ。彼一人の立てる波だけが打ち寄せる。チームの負けが決定しても、自分の勝負を最後まで諦めない姿が忘れられないです…やがて僕たちは大学に入ったが、戦争で学徒出陣でそれぞれの戦地にゆくことになった。彼の乗った船は南方で撃沈され、全員の死亡が伝えられた、しかし僕は彼が、今でも日本に向かって海原を泳いでいる気がします。最後まで一人諦めないで海を泳いでいる気がしてならな い。
夏休み、こうしてプールの波を見ていると彼が泳いでいる背中を思い出します…。』
僅か数分間のお話でした。
私は初めて、言葉とは人の心に訴える力を持つものだ。その力を発揮して言葉なのだ。
強く実感した一瞬でした。今なお鮮明な印象のまま忘れた事はありません。

