跳び安座…6・羽生結弦 | HOODのブログ

跳び安座…6・羽生結弦

mini_170219_2331.jpg

mini_170219_2332.jpg

素人・玄人に関わらず構えというものは共有のものだ。

我々素人は、まず自分の師匠から学ぶ。
師匠との稽古を通じて、身に付けた構えや型を演じてゆくわけだ。稽古で習った姿をいかにトレース出来るかが、まずは出発点でもある。

だが、一方で同じ流派・会派でも構えには様々な考え方があって、『これが答えだ!』という一元論ではない。


舞台写真を撮影していると役者の解釈は、例えば手の表情にも現れる事が解る。

写真一枚目のように表面的には柔らかく握り構え、一見すると力を込めていないように見える型、あるいは小指・薬指に力を配して握り込み(竹刀や刀を持つ構えに似る…)で、いかにも意識も強めであり指の筋も浮く型、どちらも並立した考え方であり、前述と同じく正解はない。


私自身は能には武術の構えと同じ見地がある、と考えているので後者の構えが好きだ。僭越・非礼を覚悟で言えば『美しく見えれば、それが正解』…。

演技・舞台での『美しさ』の一例で考えると、今しがたテレビ番組で羽生結弦のエキシビジョンが流れていた。彼の身体や指先使いまで、全身を通じて神経が行き届いており、実に繊細な表現である。このリリシズムが最大の身上だと見る。『耽美な美意識』の視点では氷上の勝利者であり、答えの表出と言えるかも知れない。一方でリリシズムで修飾された感情が、肉体に必要な瞬発的剛感を奪ってしまう傾向も散見され、ジャンプの際に回転軸が傾くのも気になった。

さて…この『美しさ』という曖昧な答えが肉体表現に必ず包括されるものならば、間違いなく『解答』が用意されて然るべきとも思う。

先は長い…続く。