能楽と別れる日 | HOODのブログ

能楽と別れる日

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私は能楽の撮影者として滅多に能評は書かない。だが、先日の銕仙会定期能『翁』で『三番三』を舞われた山本則秀師による揉ノ段・鈴ノ段には心底に敬服した。その舞いは、自分が長らく忘れていた精神を揺り動かすくらい鮮烈に炸裂する存在だった。

まさしく『翁』に付く三番三としての舞いだった。本来の『神が役者に憑依した舞い』…いや、『神ってる舞い』と言うべきか。神を舞う・演じる演技とは、あの様に全身全霊を込めて、身体を駆使するものだ。

100%の演技で舞うには、身体を追い込む120%の厳しい訓練が無ければ難しいはずだ。そう考えると、どのような稽古をするものなのか。どうするれば、あの様に舞えるのだろう。

私は撮影者ではなく、一人の演技者として考えらさせられてしまう。

能楽サークルの学生時代から素人会や仲間内の稽古会などで適度な稽古を積み重ねて、もっぱら無理をせず周囲との軋轢を生まないように人々の顔を伺い、何者かに遠慮しながら『礼儀や社交』として、どこかで現実からは逃避する口実にしていたように思えた。

いずれ、私にも舞い納めが近づく年齢になってくるが、どうせ『能楽』を止めるならば全力で最大限に心身ともに破壊寸前まで追い込んで終わりたいではないか。それが一番の私らしい幸福なのではないか。


私にとって能楽が終わるのは舞台撮影ではなく、その別れは『初心』どおりの舞台上が良い。そう思えた。