目指すは本丸 | HOODのブログ

目指すは本丸






鴫野・八剱神社を後にして一路、旧大和川沿いに歩く。慶長年代の鴫野付近は湿地と水田であり、多数の兵員を展開するには不向きであったという。

川堤を巡って、大阪方木村重成・後藤又兵衛、徳川方佐竹・上杉方による鉄砲隊による激しい銃撃戦闘が繰り広げられた。川を挟んでの右側今福に佐竹、左側の鴫野を上杉側が進む。僅かに堤跡があり、市街地より若干高い。

点と線を結び、互いに縦進的に拠点を奪い合う戦いは、佐竹方が撤退、ついには上杉方のみで支える窮地に陥った。

鴫野の市街地を大阪城を目指して歩く私の目の前に、一つの碑が見えた。何か歴史的な石碑なのか。


たしかに、それは『戦いに命を落とした人々』への鎮魂碑であった。ただ…三百年前の戦闘ではなく、身近な近現代史であり『大阪空襲』で戦火に焼かれた人々を悼む石碑であった。

人は経験を忘れ去った時に同じ過ちを再体験する。その輪廻の繰り返しなのか。愚行は、また未来に続くのか…どうなんだろう。

そんな、やや暗い気持ちで歩いていると、突然に堀端に出た。

水面の向こうに遥か大阪城見える。戦線を維持し、ここまで到達した上杉方も、同じように感慨を抱いたのだろうか。


『お前、城は、まだ先ではないか…ここまで来たら城内まで行くのだろ?』

大阪城の郭は堀と川を巧みに配置し、幾重にも迂回を繰り返しながら城内へ導いている。

小高く築き上げた内陣は、まさに要塞の壁に等しい。城壁の各銃眼は堅固であり、まさに近代戦でも通用する。

大手門を過ぎると…ドーン! 天守閣があった。