ありきたりの愚痴
稔る田…愛機ミノルタ機への寓意。
実家の所用が立て込んだ。このところ記事更新していなかったので、ひとまず推敲なしにブログ投稿する。
私は、特にデジカメへの意識はないが、仕事で使う以外では相も変わらずフィルムカメラを持ち歩く。
一応、補助に携帯やコンデジを用いるが、〆の一枚はフィルムで終えたい、その自己満足に引き換えて重たいカメラを鞄の底に忍ばせる。
写真雑誌の月例コンテストへの投稿などは皆無だが、私も数年前までCAPA誌の中古カメラ記事へ投稿していた時期があった。
当時は写真雑誌の編集側・常連投稿者には写真やカメラばかりでなく、その周辺にいる人々への愛情が記事にあって、誌面には暖かみが感じられたものだ。
そんな昭和テイストな心情もデジタルカメラ全盛を迎え、さらには東日本大震災やスマホの普及で、写真を取り巻く社会状況は変化した。
写真一枚の楽しみ、人生の友としてカメラ一台を愛する気持ちは失われた。ただ、有り体に言えば人々はカメラで写真を撮らなくなったのだ。
『コンピュータスクリーンに手を当てれば暖かいのか。』
電子信号に過ぎないデジタル世界に、我々は大切な記憶まで信号化して、ただ映像を数値的に思い出すだけなのだろうか。
もし、その写し出された画像に温もりを得られたら、まだ人類は記憶に残した幸せまでは喪失していない、という実在証明には違いない。
