東伏見ラーメン
東伏見ラーメンは実際に存在した屋台ラーメンで、十数年前に田無方面で夜間営業をしていた。中型トラックを改造した店舗で、赤い提灯に手書きで『東伏見ラーメン』と記されていた。確か、雨が降ると休業、もしくは早終い。店は国道脇の空き地に停車して営業。その空き地のある町内に私の能楽師匠宅もあって、稽古帰りに屋台を見掛けたのだ。
だが、どういう理由なのかは不明だが、私が師匠宅に稽古へ行く日は雨が降る事が多く、稽古後に立ち寄ると屋台は閉店した後だった。
ある夜。やはり小雨が降っていたが提灯の灯りが見えた。さっそく屋台に行き、声をかけると雨が降り始めたから店仕舞いだと云う。
だが…小雨なので、私を最後の客にして注文に応じてくれた。
提供される醤油ラーメンは普通の屋台的な味わいで、特に特徴的な印象はなかった。しかし、不思議に美味いな…と思った。小雨降る外気の肌寒さ。赤い提灯の揺れ、トラック厨房から上がる湯気…それが、いかにも舞台的であった。自分が当ての無い旅に出ていて、所在無い心を慰めるような空間だった。
その後、稽古の帰り道はたいてい『東伏見ラーメン』を利用したが、ある日を境に屋台は姿を見せなくなった。
空き地には、置き去りにされた破提灯だけが下がっていて、稽古帰りの夜道が急に寂しくなってしまった。
