髪を主題にした能…2 | HOODのブログ

髪を主題にした能…2

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能『清経』シテ浅見慈一・

髪とは女性にとって日常の分身であり、精神的象徴であると私は見ている。では、男性は髪をどのように捉えて来たのか。明治の近代以来、男性が髪を延ばす習慣は消えた。男性が髪を伸ばしていた時代、能『清経』をテキストとして考えてみた。


能『清経』は、主人公である平清経が、源平の戦いに悲嘆し船より身を投げ入水した事から始まる能ドラマである。


清経は都に宛てて妻に、せめての慰みに遺髪を形見として船中に残していた。家臣である粟津三郎は、遺髪を主の妻に届けるが、妻は入水に果てた夫を憂い、恨みつつ髪を受け取らない。

その夜、妻の枕頭へ清経の霊が現れて夫婦の問答が始まる。

髪を死去した後の名残として、家族や身内に与える。そうした類例は多いが、清経の妻は夫の死や形見の髪を認めない。

髪の持ち主である夫の清経、その愛すべき具象として夫の肉体なき形見など価値はないと拒否する妻。肉体から切り離しても髪を自分の分身として認識してほしい清経。しかし、女性において生きているから髪は象徴であり、自ら勝手に入水を選んだ夫の死、残された髪に象徴など微塵も感じない…とする妻。そこに女性視点での性感覚、夫が生きていればこその快楽があると言える。ゆえに、もはや死んだ夫の髪を撫でても、妻も『帰らぬは古(いにしえ)…』なのである。


こうして清経夫妻の問答は、清経の霊が妻に再会して語る行為により、清経は成仏へ導かれて能は終わる。

私は現代でも変わらず、女性は髪にも性的シンボルの思いを秘めて手入れをしているように思う。しかし、我々男性には性的維持を自分の髪に見いだしていない。せいぜい…抜け毛が気になる程度だ。

清経が、自分の死後への分身として髪を形見としか捉えなかったのに対して、妻は髪を形見としてよりも、生きているべき肉体の延長として髪にエロスを感じていた。それは、未来まで続く男女のすれ違い、争点の一つであるかも知れない。

ハゲのオッサンを『ツルツル、ハゲッ!』と罵倒しても殴られるくらいで終わる。しかし、婆さんに『ハゲッ』なんて言ったら、『死ね!』て言うに等しい訳だ。男のハゲにはペーソスと悲哀がある。しかし、女には絶望と悲嘆しかないんだな。夢、口すべからず。