夏の読書感想文…1
『差別感情の哲学』・中島義道・講談社学術文庫。
差別とは、否定と肯定の二重構造の中にある精神意識と感情であり、常に嫌悪と快楽が交錯する。
差別とは醜い心と感情だ…と、そういう事柄を知識としては理解し得ても、実際は違う。
情けないが、私も他人に対しては差別の塊である…少なくとも、そこを認識して他人と接した方が間違いはない。
本書は啓蒙書でもなければ、自己啓発本でもない。
あくまで『一つの精神のあり方』を提言しているに過ぎない。
例えば、ケガレを清める力、ケガレを祓うために何らかの行為や言葉を用いる事を肯定してきた。しかし、それが様々な暴力へ導く作業である事に気づく。
私は趣味で能、謡曲を謡う。そして最後に『祝言』という一節を番組の終わりに付ける。それは大抵が神様を主人公にして作品の一節であり、これを『付祝言』と言ったりする。
しかし、本当に祝言が『清め』になっているのか。祝言能は果して『目出度い』のか。いつしか、私に芽生えた疑問であった。今更に謡曲が持つ祝言性を否定はしない。しかし、それを支持する『感情の傲慢さ』を一抹ばかり意識したのだ。そう思うと、祝言を謡う『気恥ずかしさ』を認識せざるを得ない。
そうした私の疑問が、本書で少しだけ解けたように思う。
あるいは、ナチズムによる『健康ユートピア』という差別意識は、やがて環境浄化、民族浄化をイデオロギーとして、この『健康で美しいものの』の絶対値がもたらす恐怖を歴史に学んできた。しかし、この恐怖が、今もなお形を変えて現代社会に継続している実例があり、その中で我々は生きている。
あるいは『努力は必ず報われる!』…努力とは誰もが平等に可能な行為なのか。
努力信仰を背景として向上を希求する行為に対して、絶望的な無力感の存在を見逃してはならない。ゆえに、向上という結果に対して『あらゆる賞賛に冷淡であれ…』と訴えている。
我々は差別に対する処方箋を持たない。しかし、お互いを繊細に慎重に意識する事で、差別から距離をおくことが可能だ。それこそが『真に誠実』である生き方なのだ…と本書は説いている。
口にすれば容易いが、人生という表現の中で差別を持たない難しさを改めて思う。
