飛べフェニックス
割れてしまったミラー。
前述のコシナ製一眼レフも、今は閉店した新大久保のジャンクカメラ専門店で買った。購入時は異常もなく僅か千円札一枚の捨て値である。
しかし、すでにミラー部は落下を開始していたのだろうと思う。異常に気がつかない私のミスだ。結局、本当のジャンクになりかけてしまった。
この数日、壊れて廃棄処分、ずっと放置してきたカメラを修理している。単に気晴らしの意味もあるが、人や機械も手を尽くせば回復するし、治る場合もあるのだ。要は発見と手段という事。
割れてしまったミラーを『指で押し込み』テープで固定。ファインー内での使用に支障は見当たらず、私が使うだけなら充分である。おかしな話だが、どうやら新品のカメラより自分で修理したカメラで撮影する方が好きらしい。
戦時中、南海の果てラバウル基地に置き去りになった整備員やパイロット達が、故障機や廃棄した機体の部品を集めて零戦を作り、作戦行動した逸話がある。その零戦は上野科学博物館に展示されていて、今も見ることが可能。おそらく、私は人間と機械の関係に一つの幻想を抱いているに違いない。航空機映画『飛べフェニックス』も同様で、困難があっても生きるための知恵が使える事、そこに喜びを発見がある。人と機械を同一には出来ないが、何事にも手段はあるのだ。
それが願望や妄想だとしても。
