故郷は遠く | HOODのブログ

故郷は遠く


一昨日、不注意から左手を打撲裂傷。当分はやるせない毎日だ。

先日、東北の某市まで母方の墓参に母を連れて行ってきた。いわき市より好間、田村町を抜け国道49号を経由して中通りに入った。


母が運転免許を習得した数十年前、この街道は昭和を面影を
色濃く残していた。
周辺は林業が盛んで積み出し用の荷馬が、のんびりと川辺りに繋がれていたり、大切に育てられている牛が散歩する日本の風景だった。五月の節句前には鯉のぼりが翻り、休みには部活帰りの女子高が自転車を走らせて帰宅する姿が見えた。

しかし、そういう里の生活は先の原発事故で一変した。


街道は人々の生活や営みが希薄であった。希薄というより『生きる尊厳』が喪失しかけている『社会の死』を私は感じざるを得なかった。

付近は放射線避難地域から相応に距離のある場所だが、この街道に立ってみると心の芯が折れそうになる。

確かに田植えの用意は始まっているが、どうにもならない雰囲気があるのだ。


里山や沿道には桜が満開であった。人々の虚しさや愚かさを癒すように桜が咲き誇っていた。


原発は社会を支える原動力として否定はしない。エネルギーなしには社会活動や生活は不可能だ。だが、支払った代償は取り返しがつかないものだった事は事実だ。私自身、実家は某原発(現在休止中)から数キロ圏内にある。もし、再び事故があった場合…その状況下は絶望的ではあるまいか。逃げ惑う我々を国や他の地域に暮らす人々は受け入れてくれるのだろうか…都内を歩く自分の足元、振り返る道に続く先に何があるんだろう。