夏の終わり
久しぶりのブログ更新。
抜糸が終了して、爽快な気分を味わう。
なによりビールが美味い。
その昔、戦前の話である。水を油に変える発明を売り込んできた男がいた。
物理的に不可能だと思われるが、男が行うと確かに水は油に変換される。
この怪しげの売り込みに、何故か旧日本海軍が乗った。石油が喉から手が出るほどに海軍は欲しかった、という背景がある。
しかし、この詐欺は、熱心な海軍将校の検証と追求に見破られ、海軍は世界に恥を晒されずに終わった。
有名な話の一つでもある。科学的な論拠を求めて実験を重ねる。照査したデータを再検討する。
そういう態度が理学を発展させるのだろう。
理研の小保方研究員の一件、彼女の発表以降の経緯は、多くの人々の人生や生活を巻き込み、そして狂わせた。
そこに『科学』があったのか、と問われれば『創世記的な科学』は存在したのだろう。創世記的と称したのは、かって科学の裏側には(錬金術師)という人々がいて、そこから生まれた数理や科学が熱エネルギーの法則に関係してゆく。
錬金術は詐欺である…という解釈は、やや違うだろう。
一つの可能性を希求するあまり、整合性を作り上げてしまった演出的科学というべきか。
あの小保方氏の成果に期待した人々は少なくない。国家や国の成果や価値を高めたいと願う人々は、特に期待したに違いない。
そこで、前述の『水を油』に変える話が出てくる。成果主義のみを歓迎する世相とは、時に社会の破滅を招くという事だ。
理研はリストラを実行せねばならないと聞く。明日の生活に困る研究員もいるに違いない。先頭に立ち奮闘して破れ、人生の道を絶った管理職の研究員もいる。
失敗を過去にせず、改めて進んで欲しかった。
※検証した海軍将校氏についても、いつか触れたいが、ブログで書ききれる疑問だな。
