庭から人生を学ぶ | HOODのブログ

庭から人生を学ぶ




大抵の一戸建ての住宅には大なり小なりの庭がある。

最近はハウスメーカーが提案したデザインの洒落た照明、南欧風の庭やエントランスが大勢を占めて、どの家も似たような小綺麗さで飾られている。

しかし、和庭の造園師が書いた本によれば、日本の風土に合った庭とは歳月を経るほどに家に馴染み、風合いを味わうものだ…とある。
完成した時点から古くなるのではなく、住人と共に人生を歩む庭であるらしいのだ。

しかし、それまで美しく花で飾られていた庭が、ある日を境に寂しく枯れ果ててゆく場合もある。


とある一軒家、新築の家で若い夫婦とお子さんが二人ほど。四年前に越してきて、元気そうなお母さんと娘達も、小さな庭だけど楽しそうに花を植えたりしていた。
ところが、今年の春に突如として庭は殺風景な空白となり、門扉横にあったシンボルツリーも伐採されてしまった。
幾多の花が植えられていた植木鉢は、全て空に積み上げられ、花壇には雑草が寂しく揺れている…あの家に、いったい何があったのだろう。
余所事ではあるが心配になる。帰宅する娘さん達の顔ですら、悲しそうな表情に見えてしまうのだ。

庭とは、その家の性格を表す顔みたいなものだ。私の仕事先、近所に年老いた老人が一人暮らしをする家の庭は、かっては賑やかな庭木があったと推測されるが手入れが困難となり、今は多年草のギボウシ株が点在するだけの姿だ。かって家族に囲まれて華やかであった庭の終焉と見れば、それも一つの庭の人生である。

それが時の流れではあるにせよ、突然に『植物が生きる事』を断絶したような風景は、やはり気になる。