少しだけ仕事の事を書く。
私の世間的生業は舞台写真・能楽写真を撮影である。
稼業と言うには稼ぎは少ないが、日夜研鑽をせよ…という世界に身をおいている。
能という舞台世界は、舞台と観客が一定の緊張感で結ばれた時に作品世界を越えた感情をもたらす場合がある。
しかし、その前提となる条件に静謐を要するという事。
分かりやすく言えば、舞台から奏でられる囃子の音楽や謡以外の音を排除する小さな世界、宇宙である…といえる。
ゆえに、我々が一番に悩ますのがカメラの作動、所作だ。
動体撮影であるため有利な一眼レフを使用するが、ミラー作動など音に対しては胃が痛くなるくらい神経質になる。
専門の各撮影者は、防音カバーや様々な工夫を凝らして撮影に臨む。そんな苦労があって初めて撮影が評価されるという立場だ。
ところが…である。
能には様々な撮影、特に新聞社やテレビ局記者が参加している場合があって、そこに問題が発生したりするのだ。
総じて、彼らはカメラ音に対しては鈍感である。いや、シャッター音が出て
自らの存在を主張出来ると考えている向きさえある。開演中であるのに携帯に出ての会話、他の撮影者に対する勝手な移動による写り込みなどだ。
これが屋外で演じられる薪能となれば、主催者スタッフによる即席カメラマンの撮影が加わる。
後日、薪能の感想コメントをネット検索すると『撮影者のカメラがうるさかった』『移動されて撮影されるのが目障り』『撮影する人って料金払っているの?』など。
そして、集められた苦情を主催者から結果的に負わされるのが、撮影を専門とする我々なのだ。
そういう図式を生む環境の一因は我々にもある。能楽撮影という手法や手段を公式メディアに訴えて来なかったからだ。
能楽写真家に選民意識がなかったと言えば嘘、偽りとなるように感じる。
能楽撮影には、多少特殊な撮影方法とを求められるという事を、詳細に撮影する業務の方々へ広く説明する必要があったと思うのだ…ひとまず、駆け出しのプロとしては名乗るも恥ずかしい私の所感である。
