再び、零戦小僧 | HOODのブログ

再び、零戦小僧


安部総理も感涙、絶賛の映画『永遠の0』楽しみにしていたのに…まだ足を運んでいない。

私の足が向かない理由は多々あるのだが、やはり『特攻隊』という統率の外道である世界を描いている点がある。

原作者が、実際にあった幾つかのエピソードを組み合わせて『戦場ロマン』として描いたのは、想像に難くない。

だが…そこで感動してしまうのは、今一つ納得できないのだ。
現代人の我々が、観客や読者を『泣かす』ために描いてしまう戦争ではないのか…?、と思うわけだ。
私も十年前くらいに、ある劇団を主催した知人から依頼されて、海軍軍人を主人公にした芝居を描いたことがある。私が見聞した話や証言、記事を組み合わせて二人の主人公を脚色し、劇中に登場させた。


観客と役者を『泣かせる』という意味では、たぶん脚本は成功したと自負している。

しかし…だ。そこに『演劇的な感動』が必要であったかは、今でも心にトゲみたいに刺さる。観客の反応が好評だっただけに募る自らの矛盾でもある。

実際に残された証言記録などを読むと、特攻隊による攻撃の命令発令も、詳細な記録は皆無に近く、基地司令による乱発された命令による攻撃であった場合が、あまりに多い。

未だに、誰が乗っていたのか、出撃した隊の所属も不明の史実がある。そういう証言を読むにつれ澱のように納得のゆかなさが積もるのだ。

あるいは、学徒出陣で動員された学生達が、実は母校にすら名簿が残っていない現実。それは即座には信じられない事だったが、送り出した社会と体制の責任は問われないままだ。