零戦小僧…2
零戦好きの私としては、『永遠の0』には少なからず興味はある。しかし、『風立ちぬ』程ではない。
各戦史記事、零戦搭乗員等による手記やご遺族達による回想記事など、多くを読んできた私としては、『永遠の0』が先行した記事や手記、遺影などを繋ぎ合わせた小説に見えてしまう。それ自体は批判する対象ではないのだが、個人的に納得が出来ないだけだ。
楽しみにしている映画ではあるけど、期待は…しない。
実際に、零戦へ搭乗して空戦を体験した方の話を聞いた事もある。その方は、九十代の老人ではあるが、話は遥か遠く旧セイロン島空襲(現スリランカ)ツンコマリー戦に及ぶ。
氏はスピットファイアと空戦したと述べるが、当時のセイロン島に、英国軍はスピット戦闘機を配備していない。旧式のハリケーン戦闘機、フェアフライ複座戦闘機が配備されていて、おそらくシルエットを見誤ったのだ…むろん、資料考証による反論などは非礼の極みだ。
氏は、この空戦で(たぶんハリケーン戦闘機)七ミリ機銃を浴び負傷した。何とか被弾した零戦を操縦して母艦に帰り着いたが、傷は重く内地にて治療生活となる…ゆえに母艦を降りて、母艦機が壊滅した珊瑚海海戦や大敗したミッドウェー海戦には参加していない。
あの戦争の四年間を生き残る人とは結果論から言えば、天寿以外の死とは無縁な人生と決定している…そういう人々だろう。
逆に言えば、当時の若者達が生き延びる道、死を避ける選択は絶対に取れなかった。それが戦争の実態に近いはずだ。
