不安の力…補足の2
ナツイチ・集英社文庫『不安の力』五木寛之著 担当片山陽加
謡曲『大会・だいえ』には、ある老僧の恩に天狗が報いて釈迦の説法を演じてみせる約束をする。しかし、我々天狗達の芝居なのだから、けっして信心を発心しないように…念じられる。
やがて、天狗達が登場して釈迦や弟子達羅漢に扮して説法の場を演じるが、見事な有り様に老僧は天狗との約束を忘れ、思わず合掌をしてしまう。その刹那、帝釈天が下ってきて天狗達を成敗する…。
似たような話は他にもある。山寺にお釈迦様が降りてきて説法を見せるという噂がたった。
ある日、一人の猟師が寺に来て説法を見たいと言う。その夜、やはりお釈迦様の来仰があったが、猟師は光輝く釈迦に矢を放つ。明くる朝、そこには大きな狸が死んでいた…。
おとぎ話的な展開だが、ここにひとつの答えがある。
人の目に見えるもの、向こうからやってくるもの…天の啓示など、あるいは光が口から飛び込んだなど(空海の逸話にはある)
本書・暴発するかも知れない自分への不安より…『仏に会えば仏を殺せ』と禅家では言います。座禅をしていると、仏に会う瞬間があるらしい。しかし、それは魔だから殺せと言うのです。
目前に来仰した菩薩の姿を、ありがたいものとして受け入れるのか。一度、改めて解釈した上で、やはり菩薩の来仰として、ありがたく受け入れる。
そこに幅があり、『肯定』がある。
さて…混濁は昨夜からだが…ここから、強引に『片山陽加論』に入ろう。
