松陰最後の地
昨日の小伝馬町牢屋敷跡。大安楽寺境内前には十思公園が広がる。
公園には江戸日本橋の石町『時の鐘』が建ち、松陰を偲んで山岡鉄舟も碑がある。
ここは、吉田松陰の最後の地。
その公園で受験勉強や、何やら難しそうな本を読む若者達が散見された。なぜか若い女性も思索に耽るようにベンチにいたりする。
しかし、江戸時代にこの地で斬首された人数は十万人とか…様々な事情があった人々も最後の場所。
しかし、松陰先生の存在は一際大きい。
ある意味で神様に等しいか…。いや、神様という表現が妥当でないなら、時代を越えた精神的支柱。
ここも松陰先生が見守る因縁の場所だ。現代の若者が受験勉強したり、難しい本を読むには良い場所に違いない。
『学べよ、諸君!』
そんなわけないか…偶然かもしれぬ。
松陰等を斬首した政策は明らかに井伊等のミスリードであったろう。
自分等と意見が違うものだからこそ尊重するなり、耳を傾ける。相違の果てに罪人扱いにして、斬首するのは誤りだ。
ゆえに、同じように井伊大老自身が水戸藩士に斬られた。
意見が違えば排除して良い、殺して良いという考え方は、テロや戦争も辞さない…その思考が、昭和の軍部クーデターを招き、やがては大戦を起こす。
もし、安政の大獄などせずに、松陰や左内など攘夷派に対する説得の努力をし、あるいは松陰をアメリカへ留学させていれば世界に対する視野が開けて、日本の近代史は異なった結果になったように私は思う。


