小伝馬町刑場跡 | HOODのブログ

小伝馬町刑場跡

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思うことあって江戸小伝馬町牢屋敷まで…途中、有楽町駅前の南町奉行所跡に立ち寄り日比谷線で小伝馬町駅。
駅を上がり、歩いて数分の場所に延命地蔵のある刑場跡。

幕末、吉田松陰や橋本左内が刑死した場所が目の前。私の後ろには、かの首切り朝衛門が処刑の際に用いた井戸跡もある。


その日、今日のような青空が松陰にも見えていたのか。
目を閉じて、ちょっと妄想の中、当時の人々が私の前を過ぎていったような気がした。さらに運良く、住職が帰宅されたので少しばかりお話も伺えた。


なにしろ、今日は彼岸。


再び、日比谷線に乗り八丁堀駅へ。奉行所に勤務する役人達の屋敷群があったのが八丁堀界隈。

私の高祖父佐久間長敬は与力として小伝馬町や奉行所に勤務した。頃は幕末、地震に火事…各地の政変に、さらにペリー来航。

長敬も、ペリー来航により人生は大きく変わった。

八丁堀に屋敷があったというが、その場所までは不明だ。
夕暮れも近い。まずは八丁堀から東京有楽町まで歩いてみる。役所まで遠くはない

こうして秋の日暮れ、ある時は南町奉行所から帰宅し、また別の日には小伝馬町の牢屋敷で囚人の管理や事務に終日働いたと思う。

佐久間長敬はいち早く近世から近代への法律に対する意識も有した人で、『江戸町奉行事蹟問答』も記している。しかも東洋文庫から発売されているとは、最近まで私も知らなかった、…これは、子孫の一人として恥ずべきだ…他にも著書を幾つか残している。


街を歩きながら、彼らの後ろ姿を考えてみた…松陰にしても長敬にしても共通して『生真面目』だと感じる。他人への誠意とは、また自らへの問いかけに違いない。

あの場所に立った時、刑死した松陰は首切りの執行をする担当者を労ったように私には思えた。

長敬が囚人達の健康や将来に便宜を図ったのも同じ。


本当に誠意を尽くすというのは難しい。