R・82号 | HOODのブログ

R・82号

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広島原爆投下日。これは記念日でもなければ、政治イベントでもない。

『一日祈りに包まれる』定型の言葉が今年も、どこかで誰がが使う。

別に投下した米軍を憎むメモリアルでもない。

また、当時の戦争指導を総括する日になったこともない。
ポツダム宣言の後、終戦までの数週間で幾多人々が亡くなったのか。


私の母は台湾から引き上げてくる途中、半日を広島駅で過ごした。終戦から三ヶ月後である。
広島駅前一面に人工の物はなく、色とは呼べない色彩の廃棄と瓦礫が広がっていたそうだ。

夜になると遺体を焼く火が、鬼火のようにポツポツと見え、そこに人影が動いていた…母による目撃された証言である。


ともすれば、報道で知る他国の惨状を当事国の自己責任とか因果応報として片付けて、現在でも世界各地の戦時下や人権問題には関心が薄い。
我が国に、その矛盾を訴える政治家も僅かだ。

政治家、我々も含めて関心は景気対策や金融・年金介護であって、『穏やかな格差社会』であれば、健全な競争社会の証左ぐらいにしか感じていない。私も明日になれば仕事の事柄しか頭にはないはずだ。


そうして、我々の国は簡単に虫を潰すように人を殺せる法体系の上に、再び降り立とうとしている。

それを『取り戻した』と言えるのだろうか。
民族の誇りや培ってきた知識、教養とは遥かに違う別な論理を持ち出し『絆』とか『愛する家族』にすり替えて、自らを騙してはいないのか。


妙に寒々しく気持ちが悪い。