夢中落花…西行桜 | HOODのブログ

夢中落花…西行桜

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明日の能粗筋を再び載せます。写メの桜は水戸弘道館


『西行桜』粗筋
…とある春。桜の咲く季節。閑居の静けさを花見衆に破られたくない西行は花見を禁じていた。
しかし、西行の庵室に咲く桜は都の噂となり、花見を所望する人々は庵を訪ねてくる。
西行は桜を愛でる人々の志に免じて、庭へ招き入れた。

花見に人々集い来る事が、桜の咎なのだ…と苛だち気味に西行は一人嘆く。

月夜となり、桜の下で一夜を眺め明かす西行と人々。しかし、舞台進行は次第に西行の夢世界へと転換してゆく。

桜の下に白髪の老人が一人現れた。すでに夢の中、老人は
老人は西行の言う『桜の咎とは何か』と問う。そして『世を憂しと見るのは人の都合であり、草木である桜に憂き世の咎はない…』と恨み言述べる。

西行は問う。『老人は桜の精なのか』
老人は老いた桜の精である事を明かす。、
花の精は、桜が咲き誇り、また散るまでの有り様を舞いを交え語り、花の命と惜春を言い添えて、夜明けともに跡なく消えてゆくのだった。

能『西行桜』は、西行が桜に寄せた『夢中落花』の心を作品骨子に反映させ、西行と桜を主題として描く。また、夢の世界へ導入する手法も前後の二場能にせず、能『松風』同様の構成として一場能形式の夢幻能に導いている。

桜の和歌と言えば、在原業平…世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし…。

西行…春風の花を散らすと見るときは覚めても胸のさわぐなり…。
西行は、業平の歌を踏まえた上で『胸のさわぐなり』と桜から受ける気持ちと、自らをに桜に投影した生命感を合わせて読み込んでいる。そこに西行の強いリアリズムを感じるものだ。


文責…HOOD