桜を待つ
風の強い日。
終日、事後処理に追われた。
落ち込んだ気持ちを救うのは、とにかく何かに集中させる事だろう。
仕事だったり、家事であるとか…ひたすら掃除など、心身に負荷を掛けてみる。
風の前に梅は散ったようだ。しかし、待ちかねた桜が咲く。
敷島の大和心に人問わば、朝日に匂う山桜花…本居宜長
おぼつかな春は心の花にのみ、いづれの年にか うかれそめけむ…西行
西行ならば…この歌だね。
…ねがはくは花の下にて春死なん。その如月の望月の頃…西行七十才と伝。
…世の中に絶えて桜のかなりせば、春の心はのどけからまし…古今集・在原業平。
絶えて桜のなかりせば…どこか軽めに風刺を味付けにしたながら、実態は作者が強い思いを桜に寄せる。業平が桜に投影した主体性の影が濃い。業平の歌が現代人をも捉える魅力が
ここにある。
西行は、…花の下にて春死なん…と言い放ちながらも『俺さ、自分で言っていて何だけど、気障だよねぇ…この歌さ。なるようになるのが人の定め…』と上手く運ばない状況でも、おかしみに転じている。そこは現代人と大差ない感覚なのだな。
ある意味で西行自身が我々でもある。
どちらが優れているという話ではなくて、作者が心を置いた起点が違うのだろう。
そう考えると、宜長の『…朝日に匂う山桜花』は祝言的であって予定調和に過ぎている。
これからの季節は雨降る下でも、一人花見の酔狂を楽しめる人が私は好きだ。
写メは見事だった昨年の桜。今春、区画整理で切られちゃった…。
