老舗になったとすれば、安定である事も信用価値。
昼間作りすぎたお粥(味噌味)を、いかに始末すべきか。考えた末に牛乳・溶けるチーズ・ベーコン・茸を使ってリゾット風に仕上げて食べた。
禁酒中なので、毎日が全くの自炊生活。
料理の上手い女の子は『女子力』と呼ぶが、男の場合は何て言うんだ。
男は、単なる『侘び寂』だな。意地悪な言い方をするならば『いじましい』だけだ。ふむ…自虐だ。
所詮、料理は日常力であり、極めて単純な精神性による結果だろう。家族や自分で作る料理は稀薄ではないけどサプライズもない。
ある意味で同じ事の繰り返しでもある。
違うのは…飽きないという事だ。
ふと、思う。
あの秋元康氏は料理はするのだろうか。
おそらく、氏は料理下手なのではないか。料理人は、飽きられる事とは死活問題だ。ゆえに『サプライズ』を演出する…ん、そうかな?
いや、違う。
人を飽きさせない事とサプライズとは異なる。サプライズばかりでは飽きるのだ。
少なくとも料理と食事とは、そういう補完関係にある。
毎日の夕御飯的な劇場公演や楽曲があって良いはずだ。
だからと言って、成熟とか安定とも少し意は違う。秋元氏のグループ活動は、すでに老舗の領域に入りつつある…例えば
、老舗の鰻屋が幾度もタレ味を変えては、それは客の満足を得る前に信用を失う。時と共に深まりゆく味わいというべきか。
常に変革を求める秋元氏こそ、秋元氏自らがすでに老舗のオーナーなのだ、という自覚と意識変革が必要なんぢゃないかな。
また我々も、すでに老舗の馴染み客に近いのかも知れないね。
