プロデューサーの存在
以前、私はブログ内で、世阿弥とAKBのプロデューサー秋元康は似たところがある…と書いた。
世阿弥は能役者であったが、また演劇主催者であり原作者、今で言うプロデューサーも兼ねていた。
二人が似ていると私が考えている、その理由の一つとして、自作オリジナルを重視展開している事があげられる。
常に秋元康作詞によって、彼女達が歌う歌詞世界が展開するプロセスは、いかなる状況下でも他人に恣意的に左右されない。
作詞家が自分の1推しのメンバーを選び、推しメンに当て書きして歌わせる演出は可能である。
そこには一縷の揺るぎもない。おそらく成功の要因の一つにあると思う。
…私は『君は僕だ』に師弟を越えた愛情や強い心情を覚えたりする…。
また風姿花伝には『年来稽古条々』という段があり年齢対象にした稽古法や理論を述べている。
『十七・八より』の項目など、まさに集められた彼女達のために書かれたような文章である。
それは…また明日。『近いうちに…』
えっ、ネタ出し惜しみ?いや、別に。
だって、『もう眠いから、面倒くさいんだもん…。』
Ψ(ΦωΦ)Ψ
