巨岩もやがては砂になる
曾爺さん達の人生に共通するのは、明治維新の直後か最中に生まれて、歴史的に時代が変容する中で青春を過ごした事だ。そこで『西洋近代』を肌で学んだ事実だ。
あの空気というものは想像するしかないのだが、薩摩長州派閥による新国家主義と江戸の気質を真面目に受け継いだ大多数の人々による社会が明治時代なのだ、と思う。
最近でも、『維新』という文脈政治が流行しているが、当時は『維新政府』による近代の夜明けなどという実感があったかは疑わしい。
単純に新しい文化(西洋の近代主義)を取り入れなければ、江戸社会が保たない文化思潮にあったのが理由ではないのか。
要は『維新』と名乗るならば、全く新しい産業技術や文芸、あるいは習俗が生活に導入されて初めて成立するものだ。
結果的には明治維新も学ぶ先にあった欧米との戦争で、失わなくて良かった日本人気質、価値観まで焼失して塵芥と化した。
その代価として今の生活がある。
父方の池野伝吉は戦争直後に『今度の戦争は負けて良かった』と言い残した。
この発言の総意に私は賛同は出来ない。
しかし、一つの新しい近代社会が成立展開、自ら崩壊する過程を体験した一人として、あまりに惨めな悔しさに思わず吐露した言葉なのだろう。
写メは水戸弘道館の石畳模様。
