3200≠76 | HOODのブログ

3200≠76

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雨が朝方から降っている。一日、細い雨音が聞こえる。
夜半、買い物に出た。
近所にある著名ラーメン店も店内カウンターもひっそりとして湯気だけが見えた。
シトシトと雨降る夜、なぜか私は軽く一杯飲む、あるいは目に入ったラーメン屋に寄りたくなる。
そういう感覚は、雨か降る時だけだ。
雨の湿りが関係しているのだろうか。


だが…雨よりも拭いきれないものがある。それが震災以来、見通せない将来や波のように襲う不安だ。原発事故は東北地方に憂鬱な影を落としている。

そんな中、米国の原子力規制委員会の事故報告書が一部公開されたが、それは3200頁。

一方、日本側は正式な議事記録がないという事を理由に76頁足らず。

これは何事なのだろう。
震災後、多くの人々が被災地復興に手を差しのべてきた。政府のする仕事の一つとして、正しい記録を後世に残す事だろう。その検証で次の事故を避ける作業も可能だ。
本当に『記録がない』のか。ないとしたら、実に情けない組織集団に成り下がったものだ。

明日三月十日は、65年前の『東京大代空襲の日』でもある。一夜にして十万人が亡くなった。
(隅田川の各橋、東京駅有楽町周辺のガード下の黒い煤は空襲の煤なのだよ)

ものごとには個々の責任、集団組織としての責任の大別があると思う。
しかし、見事に個々の責任は全うさた称賛は多いが、どうにも組織の責任、あるいは指導責任への検証が甘いと思える。