仮名草紙『裏の蒲焼き』
鰻屋の店軒下に置かれし桶の中、数匹の鰻入るをみたり。その姿黒く太々とし長き、また鰓などいみじく張りて、清らかな水桶に遊びたる。
鰻屋の下女、主人の言いつけられるままに井戸より水汲みて、桶に注ぐ。紬の裾など膝より捲り上げ、白き太股など露わに濡れた肌などあやしき。桶の水面にその様も映りぬ、太股の眺めに艶めかし。その陰密やかに、ありやなしや。娘の盛りこれに香りたる。、
ふと、一匹の鰻これ見て上気をしたるか。ぐいっと背競り立ち、波騒きて黒く太き頭を水面より上げたる。
女『アレまぁ、黒く立派なものぢゃわいの。』
この言葉を聞くよりも。鰻いよいよ力を得、桶より女の太股に跳び上がり。ただ上へ昇りけん。
しかれども、女。もとより生娘にあらずして、鰻の頭、ひそやかな股の陰、露に濡れたる若草の淵に届くと見えしが。やをら、自ら開きたるソソへ手をやりて、
あっぱれ、そちゃ日本一の猛けたる鰻よのぅ、さても今宵の契り、夫婦妹背の恋いのはなむけになさん。とて。
言い捨てて、鰻の鰓首ひっつかみ、黒く滑る胴長をシゴキかける事二度三度、傍らに据え置きたる関の業物霧立ち隠すや菊一文字。翳せば輝く氷の刃。
ありゃなんと、こりゃ精もつくわいの、愛しき殿に負けるとも劣らぬ太さやな、さて、ありがたくあな食わしゃんそ。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
念ずる声の下よりも。鰻、首より尾の先まで、すっぱりと身二つに裂かれたり。
やがて煙立ちつる鳥部山、蒲焼き匂う夕霞。その身もすでにタレの影。さても鰻、重箱に蔭も形もなきあとの、弔う方もなかれども、ただ美味しきかな。舌鼓こそ打ちたれ、皆舌鼓打ちたるこそ、おかしけれ。


