是非の初心 | HOODのブログ

是非の初心

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『能・清経』

ガーデニングの続きを書き込む予定だったが、ある写真家の事を昨日書いている間に、少し気持ちが変化した。

能に『初心忘るべからず』…という有名な言葉がある。
文字通りの意味にあり、世阿弥の残した言葉の中では比較的に分かりやすい。

この『初心』の意に『老後の初心』が含まれるらしい。
『老後』とは、まさに老境であり、未知の世界であるから『老いの初心』となる。
そこに行き着くまでは、『時々の初心』と青年から壮年期まで、そして『是非の初心』…まさに始まりの一歩の心持ち…常に、人は毎日が初心者であると考え、常に芸に怠らず…なのである。

私が初めて能楽写真を撮影したのは約十年前で、友人の初シテ能『清経』であり失敗が許されない最初の一歩であった。(初シテとは、能楽師が初めてシテ役で舞う最初の舞台)

まだ仕事用機材など手元にはなく、また突然の依頼であった。
使用した機材は、本当にリタイア寸前のカメラ一台・交換レンズ二本・フィルム二本。
今、思い返せば気持ちはだけは『初心に満ちた青年』であったように思う。
今でも『私はプロだ…』という言葉は使いたくない。
自らを写真家とは言わず『職人』という言葉で言い表す方もいるが、私の場合は当てはまらない。
職人と称するには、弟子として修行期間もなく、また師匠もいないからだ。

私は『初心者である』…ふと、気が付いた。『初心』で良いではないか。永遠に修行の旅…武者修行の浪人に等しく。
常に、対峙する舞台に『初心』であれば、無駄な気負いや自尊心もいらない…はずなのだ。