フリーカメラマン | HOODのブログ

フリーカメラマン

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写真機家サンダー平山氏が脳梗塞で亡くなっていた事を知った。享年55歳。

本名は平山真人、1980年代中期からカメラ雑誌のコラムを書いていたフリーカメラマン&ライターである。
カメラ機材に対する批評において独特の持論と見解を持ち、また独特の風貌も味わい深い、異風なカメラマンでもあった。
氏の著作は多いが、早くも絶版となったものが大方であるようだ。

当初、本名でライター活動をしていたところを、ある時期より『サンダー平山』と称し『写真機家』と名乗り始めた。

私が写真を開始した時期が、ちょうど平山氏がライター活動の絶頂期であったかも知れない。写真雑誌にて氏が受け持つコーナーへ、私は幾度か投稿し選ばれ、短いコメントも戴いた。

ところで、私のようなフリーの仕事は、どこへ行っても常に周囲からは孤独である。しかし、決して一人ではない。
その仕事を依頼してくれた人、自分の作品を購入してくださる方、様々な要素が絡んで『仕事』がやってくる。
見えない場所から支えられ、知らぬところで私は人を救う。
仕事とは、本来そういうものだ…と思っている。

自由な立場とは、社会に対して自らの見識だけが武器となる。
その見識が刃となり他者を鋭く批判したり、自らの孤高さが孤立と同義である事を忘れる。
また、一瞬でも狭い社会に安んずると、その世界だけ(身の回りだけが)が全てになってゆく。

平山氏は、数年前により病に倒れ活動中止となりメディアから姿を消した。
おそらく病に加えて失意であったと私は思う。

ライター(物書き)の神髄とは、未来を言い当てる予言者性質にある。その真価こそが作家や芸術家であれ、いわば生命線なのである。

その未来を見誤る場合…少しだけ作家としての不幸が始まる。不幸の幅が、どこまで広がるかは、自分が社会に対して自由であった事を、いかに解釈して活動したかで決まるようだ。
自由であるがゆえに、社会に組み込まれて生活する人々の思いをどう扱うのか。
デジタル時代の中でも、フィルムで撮影仕事をする写真家、携帯で日常を記録する女子高校生…写真文化は形を変えても人の手にあると。

その未来において瞑すべし…とすべきか。
多少の縁あって、氏の冥福を祈りたい。