写真の原点は記録 | HOODのブログ

写真の原点は記録

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現社会で生活の中にあるカメラとは、携帯の写メである…とした、昨夜の書き込みが拙速な展開であるのは否めない。

しかし、人は生活の記録としてカメラ付き携帯機能を多用している。
例えば、『家族の肖像』として、私の知人女性が携帯メールと合わせて添付してくる『子供の成長』は、全て携帯で撮影したものだ。
出産直後の彼女と愛児画像も携帯で撮影したらしい。

彼女は、いつでも手軽に取り出して実家の両親や友人等に画像を送信し、携帯の即時性という利点を生かしている。

写真の原点とは『記録』である…とするならば、家庭や生活記録の必携化した機能としてカメラ付き携帯が、常に手元には待機しており『記録画像』を撮影できるのだ。


いくらカメラや交換レンズ自体を軽量小型化して、パソコンと連結したりプリントアウト機能を早めても、カメラが手元になければ意味はない。
そして見落として、ならない要因がもう一つある。
子育てに多忙な母親達には、パソコンを立ち上げている時間、カメラ屋でプリント依頼する余裕などないッ!…という事だ。

『お母ちゃんが赤ん坊をおんぶして、八百屋の店先で写真を撮っていたよ…』とは、かってオリンパスペンが売り出された時に発信したコピーの一つだったと記憶する。