師匠を撮影する事
番宣を一つばかり。
明日10月28日、代々木能舞台にて能『山姥』小書白頭シテ小早川修
午後5時30分開場午後6時30分開演当日5000円
学生2000円
問い合わせ
042ー462ー9350 代々木能舞台
能に描かれた『山姥』は観客、演技者の双方へ問いかける作品であると私は思う。
それは、単に鬼女であるとか、あるいは山の精霊と決めつける存在ではないようだ。
宇宙の真理や実相とは何だろう…室町時代の作品であるにも関わらず、現代哲学にも通ずるくらいの主題を『山姥』は有している。
さて…今回のシテを演じる小早川修師は、私の能楽における師匠である。
これは、舞台撮影者では希有な仕事とも言えるだろう…師匠の能を撮影する作業とは、その過程において様々な思いが去来したり、一つの人生を味わう時すらある…と言うことだ。
撮影が終わって納品を済ませても、一つのシーンごとに記憶に刷り込まれているおり、忘れる事が少ない。
おそらく私の脳内にて、撮影と観客意識に加えて(稽古の意識)が混交して、より鮮明に覚醒するのだろう。
それは、他の役者…シテが演じる能の場合でも同様の時がある。
舞台上で自分自身が舞っていたような感覚があって、撮影後は疲労によって虚脱していたりする。
この態度は撮影者として私は失格であり、撮影素人と批判されるだろう。。
だが、失格であろうと何と言われようとも、能を前にして舞台感覚を共有しようと思えば、精神的肉体的にも舞台へ意識が飛び込んでしまうのは、当然の事だと思える。
『写真の本質は記録である』が、私には私的記憶に近いのかも知れない。
