埋もれて行く存在 | HOODのブログ

埋もれて行く存在

HOODのブログ-110906_1436~0002.jpg

今朝のブログ書き込みを読み返してみると、かなり句読点の位置がオカシイ。

自分の病気についてグダグタ述べる気恥ずかしさか…話すままにメールを打ったようでもある。

だが、人は句読点を意識して他人と喋ることはない。まして、他人の話す内容に句読点を意識したり打ちながら聞いていることもない。

やはり、句読点は文章を書く場合にのみ必要とされるのか。
時々、メールを打ちながら思うことがある。それは、このメール自体が正確に文章なのか、あるいは会話に近い文体なのか…ということだ。
どうもメール文とは、文法論的には曖昧な存在なのかも知れない。