ウィンブルドン決勝
昨夜の女子に続き、男子ウィンブルドン決勝。コートを支える人々の動きや表情、セレブな観客も興味深い。
テニス自体は、あまりにレベルが高すぎて、雲の上人を仰ぐばかり。
取り立てて、テニスに興味あるわけではないが、競技として眺めると野球やサッカーとは全く異なる地平に立つスポーツだと理解できる。
チーム力が勝敗を決定する組織戦より、自分の能力責任に於いて対戦相手と勝負に関わりたいと考える人に適正の競技スポーツか。
対人関係でも向上心が強く、自己完結した性格が好むスタイルかもしれない。
スポーツとは異なるが、能も舞台に立つ主人公は、たいてい一人で(シテとして)…だが、地謡や囃子方等が協力して成立する世界でもある。
しかし、視点を転じれば、シテは一人なのだからナルシスな意識で徹底して演じるのも可能だし、周囲がそこを支えてしまえば成立してしまう世界かも…と思ったりする。
スポーツ競技とは違い、勝ち負けのない能の評価は、若手の舞う能が名人に勝る場合もあり、若手の役者に老いた役者が遙かに円熟した舞台を見せつける舞台もある。
今、ウィンブルドンの観客席にいるボルグが決勝コートに立つナダルとプレーして勝利する事はまずない。
しかし、テニスとは違い、能の世界は『老い』が、決して弱点や欠点に結びつくとは限らない事だ。
単純に、若い頃から怠らぬ日頃の精進とも言うだろうが、さらに別な言葉で意識を表現したいと思う。
それは『老い』を冷静に眺めた意識だといえる。
『若さ以上に老いとは足らぬもの』と思ったりもする。
真の能力を持つ人とは、その『足らぬもの』を自覚して補える人なのだろう。
