600年前の人々
能『百万』浅見慈一
母子邂逅能というジャンルの能が幾多ある。
生き別れになった母子が、それぞれの信心によって救済される展開の能だ。
能の名作『隅田川』は、既に子供は亡くなっていて亡霊と再会する異色作だが、ある意味での(再会)には変わりない。
これら作品群が成立した中世時代、人々の生命や生活を考えてみると、この邂逅する展開自体が異色であった、と言える。現実は過酷であり、生き別れた母子が再会など叶うはずもないのだ。
つまり、それほどに人は奪われ殺されるのが同然の価値観であった。
社会的な権利を持つのは成人した男子のみで、女子供は家畜と大差はない…単純な意識構造である。
ならば、生命倫理など乖離した社会であった…と言えば、また違うのだ。
その証が、母子邂逅能の制作を要求した人々の存在にある。
いくら世阿弥が『親子対面は面白いから…』と思ったところで支持する観客、当時は足利政権の権力者達だったろうが、彼らの趣向に沿わなければ成立はしないのだ。
また、当時の民衆による社会意識も変化してきた証左が、これらの作品群へ影響していると考えられる。
それほど、子供の命に対する諸問題が切実であった事は貴賤を問わない、一縷に共有された悲しみであった。
そこに、能の世界という虚構であっても、『安寧に過ごす幸福』は願いであり、真実であるとして表現されたからに他ならない。
