花子さん…弐
パルミジャニーノ
『アンテア』
忘れがたい美女という典型です。
この夏、私は会えて幸せでした。
恋の彷徨の末、ようやく吉田少将と再会した花子は念願叶って目出度く結ばれる…。
そこで一つ。
ひたすら思い続けた相手に対して、単に扇を見せ合うだけで終始する能『班女』の演出は控えめ過ぎる…と思う向きもあるだろう。
だが、互いに扇を見せ合うというのが、実は能における濡れ場であり『ぶっちゃけ…つまりはセックスシーン』なんだ…という事を理解して欲しい。
互いに男性が演じる能(歌舞伎もそうだが…)、女の面を付けたシテと脇方が見つめ合って、そのシーンを演じる妄想を味わって欲しいのだ。
男二人が、その感覚と感性で形而上学的な猥褻さを舞台で展開しているのだ。
歌舞伎には、どこか倒錯した美学や審美主義が働いていて、美形な女形という存在そのものを見せる芝居だったりする。
能も美しい面を使用して似てはいるのだが…根本が異なる。
私的な見解であるが、歌舞伎の口語表現は、時に饒舌な語意展開するのに対して、能は文語表現による捨象と語幹で構成される。
距離的、時間的飛躍などを一瞬にして可能にする演出も、言語を予め捨象する能ならばこそ展開される舞台作劇術であり、そこに能の醍醐味がある。
