花子さん
能『班女』の主人公花子は、一夜の契りを結んだ吉田少将へ深く心を奪われ、ついには客を取らなくなる。
その有様は能『班女』は狂言方アイによる台詞で演出される。
客の相手をしなくなった花子を、執拗に罵倒するアイ方(江戸的に言えば遣り手婆か…)は、花子に向かい散々に詰る。
その虐め方が、強いほどに花子の一途さが表出する…という事らしい。
だが…狂言方の演技がリアルな現実さを求めるあまりに、花子が描く世界、つまりは中国の『班女』を主題にした恋慕の詩情が冒頭より剥奪されて、雑駁な三文芝居に転じているように感じる場合がある。
世阿弥は著書の中で、当時より狂言方の『滑稽さ』…能の中での笑いを誘う演技過剰を戒めているが、これが、特に『班女』を意識した記述ではあるまい。
しかし、現実的な時間の中で展開しながら夢幻能的な『班女』には、どこか恋慕の末に儚く消えた魂を感じるのだ。
だからこそ、冒頭のシテが無言であるがゆえの恋への妄執を思い、その慕情を補完してゆく演技こそが、アイ方なのではないか…『花子の気持ちは解るが、ここは何とか働いて欲しいのだ』…というリアルさが、後半の人情噺に通じると思うのだ。
花子はアイに対して一言も返さず、ひたすら自らの恋だけを見つめて、アイ方を(遣り手婆)無視する展開を見せる…その辺りの演出は中世の演出侮り難し…なのである。
