遺書
珍しく先週から十日間以上に連続し仕事が立て込み、毎日かなりな人疲れでヘイトな気分になっています。
必ずしも、(収入という俗な部分も含めて)結びつく作業ばかりではないので、ストレスなんでしょうか。
失敗した撮影を密かに見て、独り鬱になったりします。
今週の日曜日、仕舞『邯鄲』を、(その舞姿は誰もが賛辞と賞賛を惜しまないであろう)見事に舞終えて、その数日後に急逝なされた観世流シテ方若松健史師を思いながら、この数日は人の儚さが胸中を支配していました。
また今年は、私と同年代のスター的存在であった能楽師の方が急死なさってしまい、ひときわ生涯の目的や意味って何かと思ってしまいます。
…以来、そこで『遺書』を書こうか、迷っていましたが…やはり、遠くない折りを見て書いて置こうと思います。
愛読していた作家向田邦子が、やはり遺書を書いていた話を生前のエッセイで読んで、私も独りで暮らす以上は必要な年代になったかな。
しかし、簡潔に遺書って書けるもんでしょうかね。
書いたとたんに、何かで死んだりしてね…爆
