能『石橋』打てや囃せや…弐。
言葉足らずで申し訳ないのだが、能『石橋』には以下の詞章がある。
…牡丹の英(はなぶさ)、匂い充ち満ち大筋力(だいきんりきん)乃獅子頭…。
この『大筋力』という言葉は謡曲集などは(甚だ強い力…)等に解されて、実は永らく意味不明の詞章であった。
ところが、臨済宗柴山全慶師著『越後獅子禅話』春秋社刊によれば…。
抜粋
…これは『体金離金』と書かなければならないと存じます。
…中略…華厳哲学に関する『十住玄義』という書物に出てくる『金獅子のたとえ』から来ているのであります…。
以下は、かなり哲学的な表現となる
柴山師の解説によれば、『いっさいの妄執を払って、この世を自由無碍に生きる見事な境地を、獅子王の威神力にたとえ、『体金離金の獅子頭、打てや囃せや牡丹芳』と形容したもの…と釈される。
平たく言えば、物事を形や現象にとらわれず『体金』を実質としてとらえ、さらに、そこから離れて本質を見る生き方『離金』という道理らしいのだ。
かなり示唆のある文言である。
以上。
この資料は私が学生時代に調査して、ゼミ内で公開したもので、この資料に関しては担当教授より『お前にしては良く調べた…』と評価を戴いたが、…残念ながら全体の論文に仕上げる事がないまま現在に至る。
私の人生にて自ら機会を閉じた…ただ忸怩たる気持ち一杯である。
しかし、これもまた『体金離金』の言葉に従い、失った自らの人生と青春を今は瞑すべきものとして、新たに踏み出してゆきたい。
