旧盆と戦後
戦禍を知らないのは美徳である…という主人公の台詞が、昔に読んだ小説の言葉にあった。
おそらく、実体験のない戦後世代には、当たり前のように…水道の蛇口と同じように『平和』の安寧が生活にあった。
戦後、日本は他国との紛争に戦火を交えなかった功績と恩恵は計り知れないだろう。
企業は男女を問わず優秀な若者を労働力として確保し戦後経済を推進し、地域は社会的に更新をはかりながら発展したと思う。
八月が来るとメディア的には季節物として『戦争を語る』番組や特集を流す。
さながら、旧盆と合わせたような感覚で語られてきた。
しかし、この辺りで旧憲法時代における国家指導の誤りを、日本と日本人は総括すべきなのだ。
それは未来への検証作業として避けてはならないと思う。
コスト削減で若者はおろか、人に対価を支払うべき労働力として扱わなくなり始めた企業、『経済牽引』とは大切な至上命題なのか。
全てに低価格を求める経営と作業が、ついには人の命や存在価値まで下げてしまったように感じる。少子化問題など、当然の結果にしか思えない。
あの大戦で、愚かな戦争指導により幾多の人々が生命を落とした結果というものは、あらためて歴史の財産として手にすべきなのである。
米国に対して、日本人が一矢報いたから戦後の繁栄がある…など狂言綺語を用いる、それ自体が美徳に語られる悲しさを、私は恥じる。
