盲亀の浮木 | HOODのブログ

盲亀の浮木

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能『鵺』前場。
前シテ鵺亡霊の言葉に(能ではサシ謡と称する)…。

…悲しきかなや身は籠鳥(ろうちょう)、心を知れば盲亀の浮木、ただ闇中に埋木の、さらば埋れも果てずして、亡心何に残るらん……。

サシ謡、一文を紹介した。
この鵺が独白する迷い、人に知られず消え去る命の境涯を『盲亀や埋もれ木』に例えながら、さらに『さらば埋もれも果てずして…』と首枷を二重に回すような表現で描写される。

古典芸能である能が、現代においても人間や生命への問いかける力を失わないのは、『鵺』などの曲群を有するからだ、と私は思う。

『鵺』は曲構造としては、修羅能を応用した編成と修辞によって作成されているが、内容は修羅能を越えて人の心…深奥に迫る能なのだ。

暗い話が良い…という事ではない。人の心には、問うて答えられない懊悩が潜むものだ。その吐露不可能な心象を『籠鳥、盲亀の浮木、埋れ木』などに仮託し、さらに『埋もれ果てずして』…なのである。
私見ながら、私は学生時代から能『鵺』が大好きで、仕舞で習った時には『この曲が舞えなくなったら…もう稽古を止めよう』と思った程。

能の曲は、華やかに幽玄という花に満ちた世界ばかりではない…いや、むしろ…『鵺』も含めて能の花、幽玄なのだ…と言いたい。
中世時代にあって、すでに日本人の文藝は人間回帰を果たしていた証明であると思う。
機会があれば、是非能『鵺』をご覧下さい。