独立する事
能『班女』鈴木啓吾
能の撮影という作業は、自分の能力や日常生活が全て基軸となって成果へ反映される…と思う。確かに、使う機材や撮影位置なども、作品を決定する要因の一つである。
しかし、能を舞うのは人間であって心ある対象でなのだ。
向こうもまた、何かを反映させながら舞台に立っている。
その互いの感覚を写し取る…時に熱を帯びながら、あるいは冷静を装ってレンズを向ける。
そのあげく…自分の積み上げたスキルが一瞬に崩れ去る時も、また撮影の面白さであると思う。
私は、まだ修行中の身であるし、名実に認知されるのは遙かに先の日だ。
下手をすれば、孤独の果てに儚く死去もあるだろうし、あるいは死後に認められる場合だって起きる。
この万感の醍醐味… 人生の破綻を恐れたら写真は趣味に止めた方が幸せだ。
破滅と死…(大げさか)…だが、独立する事とは、自分の死に場所を決める事に他ならない。
このブログを始めて知った言葉に『平気で生きる』がある。永平寺の高僧が残した偉大な言葉に対して意を翻すが、明日に死を延ばすなら今日に仕事をして一日を終える。
百年の生涯も、一日の終わりも…どうやら似ているものなのだ。
