能が見たい、舞いたい。
『聖なる女』田中貴子著 斎宮 女神 中将姫 人文書院刊
神のジェンダー考察…特に能『三輪』の神婚伝説について述べられた論は、今更ながらに読み返す価値がある。
本来、女の元へ通う神なのだから男神であるはずだが、能『三輪』で演じられるのは女神の姿である。どうして女神の姿に変化したのか。
何故、救済を神が求めるのか…能『三輪』を詞章や構成から解釈すると諸点が幾つも上げられてしまうのだ。
ただ、舞台で能『三輪』を眺めた場合、男神から女神への異質な変換も違和感は皆無である。
そこが能の有する…能たる演出効果なのだろう。
話はズレてしまうが、もし私が好きな能を舞っても良い…と言われたら私は『羽衣』か『三輪』を選びたい。
『羽衣』の天女、『三輪』の女神…ともに、人まつろいながら最後まで孤独なままに去ってゆく。
誰のためなのか、何のために舞うのか…。
この二曲だけは撮影側よりは、舞う側でいたいなぁ…などと妄想をする。
一期も夢…どうせ消えてゆくのだ…自分の孤独を感じるには最適の能だと私は思う。
