物狂い…弐 | HOODのブログ

物狂い…弐

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浅見慈一『船橋』

能を愛好する層が、どのように分類されるのか私は知らない。
いかなる分野にもマニアはいる。…能楽マニアも例外ではない。
能楽マニアは役者論を展開し技術の是非を論じる。また楽屋話を知ることが『通』の証とされる。さらに、能楽界の展望という『政治』を語るのが、能楽マニアの王道なのだ。

能の作品論も、その範疇ではあるが多少の学術傾向を示す。加えて、随筆的洒脱や文才があれば作品論は、能評や『通』の目利きよりは能にスパイスを与えてくれそうだが…惜しいことに書ける著者が少ない。

フランス革命を背景に男女の悲劇を描いた女性劇画作家がいた。(あえて名前を伏せた)
彼女は幾多の作品を送り出したが、一方で私生活で『不倫』を経験している。
その大人の恋…とは必ずしも言い難い様相も、実は作品論的に考えると納得可能だ。世間的には無様な狂態だが、さらなる深みに落ちないと作品に男女の陰影など描けなかったのだろう。
能の『狂い』は、神々も含めてある種のトランスに突入する状態を描いている。
そして、この『物狂い』を洒脱に語るには、その状態を主観客観の双方から眺める能力や経験値が必要だと思う。

もし将来、能の新たな創造者が生まれるとしたら『演技としての狂気』と『作品論としての狂気』を両立させた人物に相違ない。