能『船橋』番宣
明日、宝生能楽堂にて鐵仙会定期公演
能『船橋』
シテ浅見慈一
能『籠太鼓』
シテ西村高夫
開演午後6時より。
今回前日に番宣ブログという有様。
三文小説まがいの番宣も難産であった。
先日から体調を落とした事もあったが、謡曲『船橋』の真意を『お話に』拾おうとすると、各所に枝分かれした問題を抱えてしまった。
研究論文などにも、詳細が展開されているが、本来の『佐野の船橋』という曲は古い田楽から演じられていたという。
その後、世阿彌の手により改作補筆を得ていると言われており、そこにある種の煩雑さや伏線が伏せられたまま残ってしまったのではないだろうか。
田楽時代は、邪淫の二人が、獄卒に責められる様や山伏の加持祈祷によって救われた…絵解き芝居であったように感じる。
何にせよ、恋愛執心や恋に狂う能の解釈は難しい。
我が身人生に経験値の乏しいゆえだろう。
しかも、もう一つの能『籠太鼓』…これがまた女心との対峙という厄介さ。
私には『妻』はいませんので、三文小説にすら夫婦の問題は解釈できません…では能番宣ぢゃあない。
ふっ…ため息…。
