作家と画像の未来 | HOODのブログ

作家と画像の未来

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『ところで…いつまでフィルムで頑張る予定なの?』

先日、先輩に相当する写真家の方に質問を受けた。
『そうですねぇ…今年年内は、このままです。』

『デジタルにしたら注意しなければならないのは、三年くらいで機材が旧式になってしまう事だよ…』
つまり今まで以上にコストがかさむ…という事だ。
写真雑誌などの記事では、ランニングコストはフィルムに比べ安上がり…と紹介されているようだが、それはプリントやフィルム代などの視点らしく、機材…カメラそのものを考えた記事ではない、らしい。

商売として考えた場合…カメラの性能は死活問題だと言えるわけだ。

確かに、もうフィルムで撮影している方は僅かである。
能楽写真という狭い分野ですら、デジタル撮影が当たり前に考えられている。
まして、一般の方々や月例応募を狙う方は、デジタルカメラは必携であろう。

納品もいずれ、データのみ…紙焼き不要となる時代が目前に来ている。
写真から画像の時代…いみじくも荒木経惟が、数年前に写真学校の入学式で述べたという話が、ある雑誌に紹介されていた。
『君たち…写真撮るの?でも、写真はワタシで終わりだから…』

ペンをカメラに置き換えて『妻、陽子』から写真による私小説を撮り続けた作家らしい見解だと思う。
被写体が下町の風景であろうと、一般の母子ヌードであろうと、作品は荒木自身の作家性に強く支配され、彼の『写真』には統一された感覚というものがあった。
最近、発表された母子ヌードには母の性と女の性…という二律背反なテーマが見事に処理されていたと思う。
その荒木経惟が、次世代に向けてデジタルや写メ画像という媒体に作家性を見いだすのか…結果が待たれる。