能『蘆刈』の話…弐
大和物語を典拠の主軸として謡曲『蘆刈』は作劇されている。
単純に説話を辿るのではなく、夫婦愛や笠尽くしの歌、舞や謡の音楽的手法を取り入れて展開は、能でありながら『芝居』の要素が高い。
謡曲『蘆刈』より。
難波女の(なにわめの…)被く(かづく)袖笠肱笠の。
雨の蘆辺も、乱るるかたを、波彼方へ(あなた…)ざらり。
此方へ(こなた…)ざらり。
ざらりざらり、ざらざらざっと。
風の上げたる古簾。つれづれもなき心おもしろや。
表記だけでは、この章段の風情は伝わらない。言葉と音楽の遊び方が中世からある…ということだ。
サザンやコムロは、別に昭和平成ばかりの才能ぢゃなくて、中世の昔から同じ才能はいたわけだ…。
閑話休題…主人公の蘆売り男がシテであり、『直面』(ひためん、と読む)能楽師が素顔で舞う能の一つである。
能は必ず面を用いる作品構成とは限らない。
『盛久』『鉢木』など武士をあつかった作品や、曽我物と言われる一連の曲群にも直面の能はある。
しかし、能面の力を借りずに素顔で勝負するという事は、ある意味で役者を分ける作品でなのだ…そういう困難さがある。
しかし、顔の造作だけで『直面』が決定しない…それこそが、幾多の名人を輩出した『能』の凄さと言える。
作品世界を演じるリアリズム…言い換えれば『能』の演劇性とは徹底したリアリズムなのだと。
劇展開の中で観客と演者のリアリズムが
同一な世界に変換されてゆく。
我々が能の『直面』に違和感を覚えないのは、そこに理由があると思う。
