明日は八月六日 | HOODのブログ

明日は八月六日

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季節の挨拶とは、手紙の枕であったりして紋切り型表現になりがちだ。相手へ失礼のないように選択される文言に慣用句として型が生じたのだ。
しかし、新聞など報道までが「型」を濫用すると真実は姿を失い始める。
明日は『原爆投下日』だ。記念日でもなく被爆者追悼日とも称しない。総ての所在は明らかにならずメディアは「投下日」と伝えている。
そして、「…街は一日祈りにつつまれます…」と締めくくって終わる。
紋切り型が悪いとは言わない。さほど間違いのない表現だろう。
言語によって伝える目的は二つあるはずだ。
事実と真実。
事実としては、戦争の惨事は記憶として歳月の中に風化したかも知れない。それならば季節の報道として「…街は祈りにつつまれる」でも負荷はない。
しかし、歴史の記憶として風化させてはならない事柄には、適当ではない。『真実は風化させない』という見識が伝える側と受ける側に必要なのだ。戦略戦争という国家暴力で理由や責任もない人が死ぬ、殺される。それは言い訳の効かない事柄であり、看過できないはずだ。
本当の自由を維持するとは、そうした声なき所を知る事で許される権利だと思う