娘(5歳)が体調を崩してから一週間ほどたちます。
本日も、台風関係なく、お休みです。
熱はさがったものの、痰がらみの咳が続いています。
もう一息。
娘は家にいるのが楽しいようで、
弟となんやかんや喧嘩しながらも過ごしています。
でね、私。
娘が「幼稚園を休む」と言い出すと、
すんなり「そうなの。」とは言えず、抵抗したくなるのです。
「確かに咳は出るけれど行けるんじゃない?」
「試しに行ってみたら?」
そんな言葉をかけたくなります。
もしね、ゲホゲホ咳しながら、
「幼稚園、行く。」って言われたら、
そっちの方が安心するんだと思います。
そうだったら、優しい声で、
「今日はお休みしよっか。」と言える気がします。
なんでだろう。
私は「幼稚園を休むこと」がなんでそんなにひっかかるんだろう。
何を恐れているんだろう。
ちょっと考えてみました。
・「幼稚園は行くもの」という私のルールがバリバリにあること
・もっと言えば、仕事も学校も「無理してでも行くもの」という意識がある。
・一回休んだら、ずっと行かなくなるんじゃないか、という不安
・私の時間がなくなること
・弟の泣く回数が増えること
うーん、まだありそうだけど、
一番は自分がこうだと思っているルールを、
なんの抵抗もなく破ってくるから、ザワツクのかしら。
このマイルールってやつを、だいぶ緩めてきたつもりではあるけれど、
まだまだ根強く残っています。
あ、重大なのが出てきました。
私が「無理してでも休まない」というルールを持っているのには、
理由がありました。
それを思い出しました。
私はね、一回休んでしまうと、
休み明けに登園、登校するのがすごく怖かったんです。
たった一日でも、浦島太郎的な気分になってしまうんです。
自分がいなくても世界は普通に回っていて、
自分はいてもいなくてもどっちでもいいのか、
みたいな気分にもなったりして。
だから、「休まない」と自分で決めたんでしょうね。
こうやって、傷つかない予防線をはるために、
マイルールって出来上がっていくのかも。
あー、そうか。
私は娘も同じように感じるんじゃないかって心配してるんだ。
同じかもしれないし、違うかもしれない。
娘の感じることは娘に任せよう、そんな気持ちになってきました。
そして、もう一つ。
私は自分が休んだ時、なんとなく罪悪感を持っていたような気がします。
「休んじゃったなぁ。」とか「休んだんだから寝てなくちゃなぁ。」とかね。
娘はね、自由に遊んでいます。
なんなら、私のそばにいません。(笑)
母屋のおばあちゃんのところが大好きなようです。
そんな姿をいいなぁと思います。
私がここで「休んでるんだから寝てなさい。」とか、
変に罪悪感を植え付けないようにしよう、と思います。
こうして、娘を通して私の枠も広がっていくんだな。
私と娘は違う、ということ。
再認識する機会となりました。
私の課題は私の課題。
彼女の課題は彼女の課題。
言葉にならない思いを言葉にしたり、
背中を押したりはするけれど、
決めつけない、自分の枠に当てはめない、
そんなことを思った台風の日です。
こんな風に、自分の心に波が立った時に、
丁寧に掘り下げていくことができるようになったのが、
コーチングを学んで得たことです。
親勉インストラクター@花巻
大木 きぬよ(ぬー)